予告犯

2015年6月6日に公開された予告犯。番宣なども一段落したので、感想をぽつぽつと。
予告犯は幸運にも初日舞台挨拶と大ヒット舞台挨拶も堪能させていただき、趣向をこらした企画で楽しませてもらいました。特に大ヒット舞台挨拶は占い師の方が本当に面白かった(笑)
今回はいつもと趣向を変えて、引用も少々交えながら。。激しくネタバレもしますので、お気をつけ下さい。





初めて見たときは結末のあまりのやるせなさと、シンブンシを被った映画の内側の本質を突きつけられ、「え、予告犯てこういう映画だったのか、思ってたのと全然違った」と、戸惑いを隠せませんでした。

この映画の一番ズルくて面白いところはこのギャップだと自分は思ってます。まさしく制作者のしてやったり。

シンブンシを被って陽動していたけど、結局彼らにはそれを行う真実があったという映画の構造そのままに、観客たちもまんまとシンブンシの罠にかかっているわけですね。この映画を見る動機(出演者が好きだとか、監督が好きだとか言う動機は考えずに)として、異様なシンブンシのキービジュアルに引っ張られて見る、というのが動機としてあるのではないかなと。こいつらなんなんだと。
で、勝手に想像するわけですね、観客も。「この映画は恐らくエンターテイメント性に溢れた現代的なシニカルな話なんじゃなかろうか」
しかし、実際見てみると「これはシンブンシで隠されていたけど、現代社会の問題もあり、実はとてもウェットな人間関係の話に帰結する」というの事に気付きます。そこがとても面白いなと。

デジタルを使って陽動するけど、デジタルでは陽動することが限界で、探し物をしてもらうために、最終的にアナログな警察に頼る。
SNSで拡散、話題にさらされながらも、友達が欲しいと求める。電脳的なつながりは求めてはいないわけですね。
デジタルとアナログの対極を感じさせる構造が、自分としては非常に面白かった。

しかし、奇しくもウロボロスのイクオと同じ自死を選んだゲイツウロボロスの時は自分はあんなに納得出来ていたのに、今回のゲイツの死は正直自分は何故死ぬところまでゲイツが追い込まれてしまったのか、その選択しか出来なかったのだろうかと、この最期には非常に考えさせられました。

と言いますのも、個人的な所感となりますが自分はIT畑の人間でもあるので、「Java,PHP,C++が出来る」ゲイツがあそこまで追い込まれるところまで仕事が見つからない、という描写に疑問を感じてしまい、ずっとモヤモヤが残ってしまっていました。
「もっと頑張れば違う未来があったのではないか?」とあのゲイツの転落劇を見た瞬間に思ってしまったんですね。勿論、自分はITにおける就職や派遣の全てを知っているわけではありません。現実としてそのような事態があるかもしれないという事は、理解しなくてはならない点だと思います。そして、映画を見進めるにあたって違う理解の仕方を示される事になりました。

映画において、私のようなピンと来ないという人種の思いを代弁してくれているのが、「吉野刑事」というキャラクターだったと思います。
自分の経験していない世界を全て理解する事は難しいという事について、映画のストーリーを作り上げた中村監督の意見が非常に興味深く感じています。

「脚本作りの最中にプロデューサーのひとりが、”正直、俺はゲイツのやってることが分からない。だって頑張ればいいじゃん!”って言い出したんです(笑)。それにヒントを得て、原作と映画では吉野のキャラを少し変えました。
(中略)
映画の吉野はゲイツのことを不愉快に思っているし、理解したくない。許せないんですよね。」
日本映画navi 2015 vol.57 中村義洋監督

所謂映画のプロデューサーは、社会の見識としては「勝ち組」に当たる人種なのではないかと推測するに、「負け組(とここでは分かりやすく断定してしまいます)」のゲイツやシンブンシ達の思想の本質を理解出来ず、「頑張れば道は切り開ける」と思ってしまっている。相反する思考を理解出来ない人がいるわけですね。
そこで、映画の中の重要なメッセージの一つの「あなたは頑張れるだけ幸せだったんですよ」というゲイツの台詞が出来上がったのだと推測します。
この台詞はグサっときました。そして、この言葉こそが勝ち組に対する最大のアンチテーゼだったと、自分は気付かされました。あぁ、自分はなんて愚か者だったのかと。自分の生きている世界を押し付ける考え方は無粋であると。そうすると、もう終盤はゲイツ達シンブンシの思いに同調し、吉野刑事の言葉はどこか絵空事のように響いてこなくなるんですね。もう、まんまとシンブンシ達の味方になって、あのエンドを悲しく思えたのだと思います。

吉野刑事は原作と映画で一番変わったキャラクターでした。それについては中村監督は以下のようにも述べています。

原作では、吉野だけはなんとなく別に目的があるんじゃないかと感じている。でも、映画は吉野がゲイツたちの行動原理に気付くまでの物語という側面を持たせました。
CINEMA SQUARE vol.73 中村義洋監督

この映画では吉野をマジョリティ、ゲイツをマイノリティとして置き換えて作られています。映画を見るマジョリティに対して、マイノリティの思想をわかりやすく示す為に、吉野がゲイツ達の行動原理を追って見せて行ったのは、自分にとってもすごくわかりやすかったですね。(聞き込みはサイバー対策課っぽくなかったけど)映画の構造が大衆にマイノリティをいかに迎合させるか、という事がこの映画のキーポイントになっていると思っていて、見た後にサイバーダークヒーローという面よりも人情ものの余韻が残るのはこのせいなんじゃないか、と思ったり。必要以上にウェッティになっている、と感じるかもしれませんが、大衆に受け入れられる為には必要なプロセスだったんだな、と思います。その代償として吉野刑事のキャラクター造形は、原作のような切れ者感が薄れ、感情的になり少し暴走させてしまった面があるかなとも思うのですが、映画の構造上そうするしかなかったのかなと解釈しています。しかし、切れ者感は薄れましたが対極の2人が出自が似通っていて、転落するのは本当に紙一重であるという社会問題のテーマが非常にわかりやすくなっていたのは良かったなと。

映画には原作にはない吉野刑事との邂逅のシーンがありますが、これは原作と異なる趣があるラストに向けてなくてはならないシーンだったと思います。吉野刑事との追跡劇の末、ゲイツは水路の中に入り込みます。追いかけっこの顛末に世の中の汚いものが集まってしまう世界に迷い込み、吉野は壁を乗り越える事が出来ずに水路の奥までは入って来れません。この描写で近くにいるのに会う事が出来ず、両者の圧倒的な隔たりを感じるというシーンは、自分としては非常に好きなシーンです。どんな事も頑張れば乗り越えられると思っている吉野が、物理的に壁を乗り越えられないという強烈な皮肉を、このシーンから強く感じるのです。また、水路の2人と、それとは全く無関係の人々が上に写るアングルはとても面白かった。
この辺りなぜ吉野は一人で追いかけるのか、とか色々思ったりもしたのですが、あの追跡劇によってゲイツの本来の弱さや完璧ではない面が垣間見る事が出来て面白かったので、人の心に近づくには一人でなくてはならないのだという事で納得させてみたり、、(笑)

そして、ゲイツの仲間のシンブンシ。
シンブンシ達の空気感は本当に良かったですね。特に最後に肉付けされた砂浜のシーンは素っぽくて大好きです。(ゲイツの笑い方に、斗真っぽさが出てしまってますが笑)
ゲイツは肉親にも裏切られ、仕事からも裏切られて、最後の希望として友達が欲しかった。拠り所のない彼が求め、そして出来た最後の「友達」。産廃所での生活は、ゲイツの今までの人生で実は一番の安息の場所だったのではないか。その居場所を与えてくれた友達に対して、彼はこの人達の為だったら自分の命を投げ出してでもと思ったのでしょう。
あんまり言及されてないですが、原作と映画で吉野が特に違いますがシンブンシの仲間の描写を増やして青春群像ものの色を濃くしたのも、原作と結構違っている面かなと思っており。原作だとヒョロへの思いは伝わるのですが仲間関係は結構ドライな感じに読めるので、わかりやすく仲間意識を強くしたのは、これも非常にわかりやすくて良かったと自分は思います。これをした事によってメタボの最後の名シーンが出来たのだと思うと、これは本当に正解!良々さん素晴らしかったー。5人の願いがささやかに叶ったという面を打ち出した事も、世知辛い世の中で、せめて夢を見れたという事が非常に美しく見えて無性に哀しかったなぁ。

ただ、色々考えては見たものの、友達の為とは言えやっぱりあの最後はどうしても悲しすぎました。残された3人がゲイツの真意を理解して「あいつにやらされてた」と供述するのですが、あまりにもヒーロー然すぎる、世間にとってのダークヒーローは最後までヒーローでありたかったのか。どうする事も出来なかったのか…。自己犠牲で本当に友達は喜ぶのか?残された人は喜ぶのか?って事を考えてしまいます。まだ悶々とした気持ちを抱いてる自分がいます(笑)自問自答する日々は続きそうですね。

映画予告犯は自分に取ってやり場の無い思いを抱かせてくれた、心に一石を投じる映画でした。
関係者の皆様、本当におつかれさまでした!ありがとうございました!



以下、予告犯の斗真のお芝居について。

斗真は今回、ゲイツという役を演じたわけですが
ゲイツはシンブンシ姿では雄弁でしたが、それ以外の場面では静かにフラットに感情を爆発させることなく演じていたのですが、それがとても自然で今までになく良かったなぁと思っています。

ゲイツは派遣時代、職探し時代、産廃所時代、予告シーンと様々な顔を見せてくれました。特に自分が好きなのは、産廃所でのシンブンシとの絡みにおける、眼は暗く陰鬱とした気持ちが底にあると感じさせるものの優しく柔和になっていく場面ですね。

ヒョロを思いやるときのちょっとした表情、愛しいものを見る目つきが今までの生田斗真じゃない。たぶん年齢もあるんだろうけど、もっとリアルな、いつも俺らが見てる表情がフッと現れたのがすごく印象的だった。
cinema cinema No.57 鈴木亮平

亮平くんが言う通り、ヒョロとゲイツの絡みは非常に心暖まる良いシーンでした。ヒョロに向ける表情は本当に優しかった。表情もありますが、口調もとっても優しくて。年齢が変わって来て、慈愛のような父性のようなお芝居とかも今後出てくるのかも、って思ったら今後もますます楽しみに。また、全く別で、計画の実行を決意した時のOTPトークンを握って喋る場面、あそこの瞳の表情にものすごくゾワゾワして好きでした。

”瞳”は映画1本を通して本当に印象的でした。シンブンシのマスクから見えるあの”瞳”。下睫毛長いな!とまじまじ見てしまうあの目が

(一番最初の登場シーンで1分くらい瞬きしないことについて)
少しでも瞳が動くと意味が出てしまうし、無駄な動きになってしまうので、瞬きはしないほうがいいと思ったんです。お客さんを引き込む大事なシーンなので、自己判断で瞬きしませんでした。
日本映画magazine vol.53

確かに瞬きしてなかった。脳男で鍛えた瞬きしないという能力、ここでも発揮です。漆黒の世界の中で浮かび上がるあの瞳は本当に異様で、シンブンシの不気味さや独特なパワーに説得力を持たせるのに十分でした。また、今回は全く逆の試みもしています。

”シンブンシ”荷なる前、ゲイツは空気の読めないダメ青年だった。その回想シーンで、生田が小鼻をヒクヒクさせる瞬間がある。
「周囲からうざがられそうな雰囲気をだしてみました。内面的な弱さを表現するために、瞬きを頻繁にしてみました。」
TOHOシネマズマガジン 2015年5月 vol.98

昔のゲイツは人の顔色を伺いつつ、明るく振る舞うような人間でした。あえて瞬きの回数を多くすることで、心の弱さを表現していたんですね。

感情の表現を眼光の強さでうまく表現できればいいなと思ってた
日本映画magazine vol.53

感情の起伏がない分、瞳がとても雄弁なファクターになっていましたね。変幻自在。

「彼の中の引き出しに(ゲイツの要素が)あると思う。だから誰からも相手にされない人の気持ちが分かるんじゃないかな」
日本映画navi 2015 vol.57 中村義洋監督

斗真の演技のアプローチって、自分が一番役の理解者でありたいという物だと思います。だからこそ色々下調べもするし、近づこうと努力するんだと思いますが、バックグラウンドがそうさせるのかなぁ。

そして最後に中村監督からのお言葉で締めたいと思います。

「何でもいいけど、僕が勝負を賭けるような大事な作品に出てほしいな。斗真くんとは、どこか同志っていう感じがあるのかも」
日本映画navi 2015 vol.57 中村義洋監督

大事な作品に出したい、とおっしゃっていただけるとは、役者冥利につきるでしょうね。。
是非また、お待ちしてます!

 ウロボロス 最終話

ついに、、ついに終わってしまった…。ウロボロスにふさわしい本当に美しいラストでした。

復讐のため、様々な事をしてきた2人ですから、最後は死ぬか逮捕されるか逃亡するかというようなラストしかないと思っていたし、自分としては「ウロボロス」という事から2人がお互いを殺す、もしくは2人とも自死するというラストをぼんやり考えていました。途中でイクオと美月の関係が濃くなったのもあり、イクオはどういう決断を下すのか、というのも見所の一つでしたが、やはりイクオの性格上竜哉と離れて美月と幸せに暮らすということはあり得ない選択だと思ったし、刑務所で2人で離ればなれになって入れられるのも全く考えられなかったので、この結末は2人にとってのハッピーエンドだったと思います。メリーバッドエンドって単語初めて知った。確かにこれは最上のメリーバッドエンド。2人にとっての真のバッドエンドはどちらかが1人だけ死ぬ事、解り合えずに死んで行く事だと思っていたので、そうならなくて本当に良かった。違う道を選ぶ事も出来たけど、20年の歳月はあまりに重かった。自死は勿論何も生まないし、良くない事。でも、目的を果たした後の竜哉もいない何も無い世界で、生きて行くほど強くなかった、と私は解釈しています。

見終わった瞬間、終わってしまったんだと言う喪失感がすごかったのですが、それと同時に満足感もすごくて。やっぱりそれは2人が最後笑顔で終われたから。死んだ姿で2人が終わるのではなく、子供の頃と同じようにオムライスを頬張る2人の姿がそれはそれは幸せそうで、この結末は2人にとって良かったんだと思える事が出来たからだと思う。だから2人が死んだ姿を映さないという演出は非常に好きでした。映ってたら完全に魔王の焼き直しだっただろうし、魔王と違ってイクオの場合は自死だから。どこを撃ったかはわからないけれども、見たくないものになっていたでしょう。美月の無音の慟哭と、中年トリオの顔を見れば、痛いほどわかる。

北川が本当に愛してたのはイクオの母だったし、そこから上司に言われるまま結婚した北川は虚ろな人生を過ごして、歪んだ狂気を愛だと信じ込んでいた。でも、そんな人ですらも家族がいる。北川は家族を愛してなかったかもしれない、でもその家族には確かに愛されていたのを痛感し、最後にイクオに父殺しをさせなかった竜哉は本当に優しいやつだ。北川は殺して欲しかったけど、殺してやらなかった、それこそが復讐になるのかもしれないなぁ。2人のとって仇を殺す事が表向きの目的だったけど、本当の目的は、20年前の真実を知る事だったし、「知る事」が出来たからこそ、辞める事が出来たのだと。

「この愛こそ、正義。」「この愛は正義だったのか?」という問いに、私自身は答えを持たない。誰も知らない。ただ、家族を渇望し、家族への愛が過ぎてしまった為に、家族の中に帰って行った。その終着が、殊更に美しかった。

うーん賛否両論あるかもしれないけど、私に取っては納得感があって、3ヶ月見て来て本当に良かったと思うラストでした。



以下、とりとめもなく。

最終回もものすごい情報量で、ほとんど心情も決意も大事な情報も台詞でやりきっていたなーと。時間がない分、そこが惜しかったですね。。

北川宅からの後半のシーンはもう斗真も旬くんもすごい役への没頭っぷりで圧倒された。濃密なやり取りだった。いやもはやイケパラで恋敵で親友だったあの2人が8年後にこんな濃密な芝居合戦をやるとは夢にも思ってなかったよ。あのラジオできゃっきゃしてた2人が。あーー旬斗真最高だ、と改めて実感。お互いが高め合ってたからこそ、こういうシーンになったのかと。役者だよ2人とも。ただでさえすごいシーンなのに改めて見返すと感動が増幅してしまう。
竜哉ががしっとイクオの頭を抱えた瞬間、イクオが涙を流し。「終わったな、全部」と言った瞬間に竜哉が涙を流し。もうここぞ!ってタイミングで涙が綺麗に流れるのね。あーーー好き、ここ好き。
まほろばで向かう車の中での、ビデオを見た竜哉がうらやましーだろーと子供みたいだったのも、良かったね。イクオは結局ビデオ見れなかったのが哀しいな、、やっぱり泣くのだろうか。子供みたいに泣くたっちゃん、、もっと早くあのビデオ見たかったよね。。(涙)竜哉を逝かせないように必死で喋るのだけど、竜哉が逝ってしまったとわかったときのイクオが、静かに哀しい顔になってたの、、ああ(T_T)
まほろばに着いた後の「着いたよ、たっちゃん。・・・・・・たっちゃん」ここの2回目のたっちゃんの台詞が狂気に溢れすぎてて、戦慄した。やっぱりイクオはもう竜哉の存在が最後のストッパーだったんだなと。今まで壊れそうになっても留めて来てくれたのが竜哉で、その竜哉がいなくなってしまったら、イクオは壊れてしまうんだな…。その後の壁にもたれたシーンの壊れ具合も、死へ向かう目も、本当に説得力があって、ただ斗真の演技力に感嘆せざるおえなかった。ちょっと前半はオーバーアクト気味(まぁそれにしても、そんなに笑わないでくださいよ旬くん!!)だったので、後半の抑えた壊れ方が際立ってて、良かったなぁ。。まぁほめ過ぎなのでたまには駄目だししないとね。。。(笑)銃声は響かせず、目を閉じた後にそのまま幻に突入する演出も好きでした。「おかえり」「ただいま」というまほろばへの郷愁。大人になれず子供のままだった2人は、「このままじゃ結子先生に怒られる、顔向け出来ない」とどこかで思っていた節があったから、結子先生の言葉に、2人は安堵したのではないだろうか。子供の姿に帰って、美しいラストだった。
正直イクオと竜哉はすごく2人にあっていたから、ここで綺麗に幕引きになってしまったのは名残惜しいな。でもまた、いつか。生田斗真小栗旬ならこの役を引きずる事無く共演できると思ってます。


一番辛い存在となってしまった美月ちゃん。父も殺され、愛するイクオも失ってしまった。しかし最後の美月の強いまなざし、出で立ちが素敵すぎて、美月ならきっとやっていってくれるだろうという気持ちにさせてくれた。
イクオの「ごめんね日比野さん、君に会えて良かった」という言葉は確かに本心だったし、イクオに光を与えてくれた美月は本当に大切な存在だったなぁと思う。イクオの脳裏に今まで殺して来た映像が思い浮かび、(メタルさん殺してた姿が出てくるとはな〜〜〜いや〜〜ウラバラスでも言ってたけどニクい演出です!!)美月と一緒にいられないと決意するのはとてもスムーズな流れだった。ただ、美月ちゃんのイクオが大切すぎて「もう終わった。この部屋も模様替しなきゃ」みたいな発言はね。ちょっと突っ走りすぎてたね。このへんちょっと美月ちゃんをいいように使いすぎてたかも、ごめんね美月ちゃん。(誰)
他の作品と比較して書くのはあまり良くないのだけど、魔王のときは栞ちゃんは可愛かったけど2人とは対等な存在ではなかった。癒しの存在では勿論あったけど、美月まで対等な関係まで持って行けなかったので、最後の死んでしまった無念さが弱かったと思っていて。美月の場合、限りなく対等でイクオを最後までぶれさせた事により、無念さがより一層際立っていた。この2人の関係が濃くなってウロボロスの作品の後半の面白さに輪をかけていってくれたと感じているので、ここの配役に上野樹里ちゃんを置く事が出来たのは奇跡だな。美月が上野樹里ちゃんで本当に良かった!2人の相乗効果がすごかったので、今度は幸せな感じでまた共演するのを見てみたいな(T_T)


脇を支えた中年トリオの存在は、本当に必要不可欠な存在だったなぁ。この時期にこの3人を抑えられたのも奇跡。
蝶野さんは最後まで一本筋を通して「刑事」を貫いていて、格好よかったなぁ。滝藤さん出てたらもう問答無用でいい作品だ、って思っちゃいそう。予告犯にも出るみたいなので楽しみです。
三島さんは最後までお茶目で。うーん最後にどんでん返しで悪い人じゃなくて良かった。安心感がものすごかった。
橘さんも最後まで凛としていて素敵だったなーー。こういう綺麗で存在感ある上手いこの年代の女優さんって貴重だなぁ。。
この3人と美月がまほろばに集まって、2人の最期を見るというのが、何か悲しい大団円的な形に思えた。


深町は最後まで本当にベストオブ片腕でした。最後に本音聞けて良かったね。。竜哉の思いを汲んで美月を止める深町せつなすぎたし、オムライス食べながらの深町の涙はぐっとしたなぁ。。。。ムロさんウラバラスも含めて本当にありがとう(T_T)

そうそう、オムライスが新宿キッチンは直線のケチャップで、深町のオムライスがナミナミ(というか、ジグザグ)のケチャップだったの、初見では気づかなかったのですが、指摘されてる方がいて芸こまか!て感心してしまいましたわ。ケチャップ大事だよね。というか、オムライスがここまで大事なキーポイントになるなんて、思わなかったよね。。ウロボロスを最後まで見終えた人は、残されたドラマの中の皆と同じく、オムライスを食べるたびに、どこかで2人の事を思い出してしまうんじゃないかなと。まさに記録よりも記憶に残るドラマになったんじゃないかな。


ウロボロスは漫画的でともすれば荒唐無稽な話を、役者魂溢れる俳優陣と、良い物を作ろうとするスタッフ陣と、楽しんでもらおうというサービス精神と色んな愛が詰まった熱量のある良いドラマでした。斗真自身が熱望したウロボロスという作品が、良い物になって本当に良かった。この作品で斗真、またしても一皮むけたね。これは間違いなく代表作の一つだ。最終回を見終えた生田さん、「30年生きて来て今日が一番幸せ」と言ったみたいですが、そういう仕事にどんどん出会えて行ける事が幸せだよね。今後の活躍が、ますます楽しみです。
ひとまず、本当にお疲れさまでした。ありがとうございました。




見終わった後の余韻がものすごくて、重い気持ちをどう処理していいかわからなくて、すぐウラバラス見たんですが、まさかのりゅうせいくんからの姪っ子メールにほっこりしてしまいました。家族っていいねぇ(涙)

 ウロボロス 9話

あと1話を残すのみとなったウロボロス。ついに3/14でオールアップを迎えられました。オールアップの瞬間はやはり涙してしまった座長生田さん。泣くよね、そりゃ泣くよ。自ら熱望して出来た作品ですもの。文字通り全身全霊をかけてやってきた事が画面を通して、色々な媒体を通して伝わってきました。5年前くらいから考えていたという事だけど、今だからこそ出来た役だったとも思います。斗真も、5年前だったら出来ていなかった事が絶対あると思うんですよ、身体の作り込みとか、アクションとか、演技に対する取り組み方とか5年前と今ではかなり違うように思うんです。昔から真摯にまっすぐ役に向かい合ってきたけど、アプローチが色々多面的に出来るようになってきた今だからこそ、この「龍崎イクオ」という役が出来たと思います。自らこの役を「やりたい」と言った斗真は、自己プロデュース力高いな、と真面目に思います。自分の魅力を最大限生かせる役が何か、自分でわかってるんだな。イクオには斗真の良いエッセンスが沢山詰まった役だったと思いますから。(でも実は5年前はまさかこんな話の展開になるなんて思わなかったかもしれないけど。1、2巻まではわりと勧善懲悪的な感じだったと思いますし)斗真だから、旬くんが出てくれたし、斗真と旬くんと引き合わせたら面白い、ということで樹里ちゃんがキャスティングされたし、斗真と旬が出るなら絶対出る、ということで鋼太郎さんが出てくれたし、マブダチムロくん、剛くんも出てくれたし。。今までの色々な積み重ねと色々な人脈から作り上げられてきたウロボロス。本当に良いチームと巡り合えて本当に良かった!ってこれ、最終回の感想に書くべきだったか?ま、いいか、もう一度書こう(笑)

9話は予告の時点から見えてはいましたが、それぞれを思う気持ちのすれ違いが切なくて。

テレビ誌のインタビューで、佐野Pがイクオは竜哉を選ぶのか、美月を選ぶのかが注目のポイント、なんて言われていましたが、やっぱりイクオにとってはどっちも大事で選べないんじゃないかと思うし、決断を下しているところも見たくないなと現時点で思ってしまっている自分がいる。「選べないよ、どっちも大事だもん」って心の声が聞こえます。。欲深いのは悪いことなのか?でもその度量がその優しさがあれば、腹括ってしまえば欲深くてもいいんじゃないの。美月といるときのイクオも、竜哉といるときのイクオもどちらもイクオだ。

でも先に腹を括ってしまったのが竜哉で。イクオが決められないから、先に決めてくれたんだ。その優しさが痛いほど伝わってきて、辛い。イクオの父の事を知り、告発ビデオを見てから、イクオがもう傷つかないように自分が悪役になるなんて、でも幸せになるように一番暗躍しているなんて、どんだけイクオ大事なのかとね。。。
でも竜哉がイクオの事を家族だと思っているように、イクオも竜哉のこと家族だと思ってて、だからこそちょっとぶれても許してくれる、って甘えてる面もあったし、絶対的信頼があるから沢山頼ってきた。そんな竜哉に手を離されて、お前は今日からそっち側の人間だと言われても、はいそうですかとは言えないよね…
「さよならだ、イクオ」と言う竜哉の顔が殊更哀しく慈愛に満ちていて。さっきまで殺気立ってたのに。小栗さん泣かさないでくれ。そこからは反論も出来ずにただ、泣きじゃくるイクオ。子供に返ったようなぐちゃぐちゃで無防備な泣き方で。見た事ない生田さんがそこにいて。完全にイクオが憑依してた。神が降りて、ダウンのフードがぽすっと被さって。…あんな大事なシーンなのに思わず可愛い…て唸ってしまった。ううう。「まじ可哀想、イクオ」旬くんから見てもね。「どんだけたっちゃんのこと好きか、たっちゃんのことしか見てなかったんだよ」斗真・・・たまに爆弾ほりこむよね(笑)

美月は決められないイクオすらも受け止めてくれる優しい存在で。美月を元気づけようと、努めて明るく振る舞って御飯に誘いに来たイクオがまた可愛くてね〜(T_T)「よし、じゃー今から食べにいこ」ここがめっちゃ可愛くて優しくて涙出そうになった。何この子犬感…(T_T)そりゃ元気のなかった美月も笑顔になるわ(T_T)
美月の部屋を訪れたシーンは、7話の時のイクオの部屋とのシーンの対比がすごく気になって。7話では美月に警戒心むき出し、且つ作り笑顔だったのに、9話では無理矢理作った笑顔ではなくて努めて作った笑顔だというのが良くわかる。この間の8話で、イクオはやっぱり美月に対して改めて「この人」と思えたのだと思う。隠し事もほとんどわかってしまったし、、
今まで「ありがとう」と「ごめん」としか伝えられなかった分、何かお返ししたかったのか。7話でお見舞いのオムライスを一緒に食べれなかったのもあり、今回はきちんと2人で御飯を一緒に食べている。イクオと美月は何回か御飯を一緒に食べていて、そのシーンの連続を追うだけでも気持ちが近づいて、離れて、また近づいたという事がこちら側には見て取れる。
美月の告白シーンでは、自分の正義感を曲げてまでイクオを引きとめようとする姿がいじらしかったなぁ。でもイクオはやっぱり「人の道から外れた事もしてきた」から、好きだからこそ美月の気持ちには答えられない、、顔色をなくして一瞬の戸惑いの表情が、イクオの葛藤が痛いほど伝わって来た。。美月は父を殺した小夏先輩をこの手で殺したいと思った、けど生きる場所さえも用意した。状況は違えど、同じ立場のイクオに、美月はどう映ったのだろうか。「これ以上何も見たくないし、何も知りたくない」とまで言った美月が、父の本当の真実を知って涙する姿は本当に美しかった。美月、立ち止まらないで良かったね。樹里ちゃん、流石です…

小夏先輩は犯人だったのはまだしも、アクションがあんなに出来るとは・・!良い驚きでした。しかし、銃をこめかみに突きつけたままペラペラ喋るというのは他の作品でも出てくるけど、あれはすごい違和感がある演出なんだよなぁ。そろそろ辞めてみないか。。那智を演じた綾野くんは髪を切ったら那智じゃなくてすっかり「綾野剛」って感じだった。でも小夏との最後のシーンは那智の哀しみと喜びが現れていて、綾野くんで良かったなぁとしみじみ。10話で何も出てこないというのもなんだか寂しい気もする…。鋼太郎さんはウラバラスでも、ダンディだったなぁ。

9話の終わりの時点で黒幕、ラスボスは解りました。後はそれぞれがどういう決断を下すか…。やっぱりウロボロスはイクオと竜哉の二匹の龍でウロボロスですから、2人が最後わかりあって終わって欲しくて。イクオ美月も大好きなんですけど、2人がわだかまりなく終われますように。