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彼らが本気で編むときは、

彼らが本気で編むときは、

 

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かもめ食堂」の荻上直子監督が5年ぶりにメガホンをとり、トランスジェンダーのリンコと育児放棄された少女トモ、リンコの恋人でトモの叔父のマキオが織り成す奇妙な共同生活を描いた人間ドラマ。生田斗真トランスジェンダーという難しい役どころに挑み、桐谷健太がその恋人役を演じる。11歳の女の子トモは、母親のヒロミと2人暮らし。ところがある日、ヒロミが育児放棄して家を出てしまう。ひとりぼっちになったトモが叔父マキオの家を訪ねると、マキオは美しい恋人リンコと暮らしていた。元男性であるリンコは、老人ホームで介護士として働いている。母親よりも自分に愛情を注いでくれるリンコに、戸惑いを隠しきれないトモだったが……。

(映画.com)

 

生田斗真トランスジェンダーを演じる。これはとてもセンセーショナルに報じられた。しかし映画にとって本当に重要なのはトランスジェンダー云々という話より、トランスジェンダーとか男とか女である前に皆一つの個であるということだと私は受け取った。そして、その個を家族としてどう受け止めるか、という点が非常に丹念に描かれている。

 

この映画の中にはいくつかの家族が出てくる。正確には母子だ。

リンコとフミコ、トモとヒロミ、ヒロミとマキオとサユリ、カイとナオミ…父親は非常に影が薄い。リンコの義理の父ヨシオは出てくるが、あくまで義理なのでそこまで濃い接点はない。

劇中でマキオにトモは聞く。「お婆ちゃんはお母さんの事嫌いなの?」マキオは「嫌いっていうのではないと思うよ。親子でも人対人なんだよ。どうしても合わない関係はある。」と答える。

人それぞれ家族の形はある。だが、リンコとフミコの家庭が一番幸福そうに見える。それは、母が子の個にきちんと向き合っているからだ。世間一般の「普通」がその子にとって「普通」ではない。自分にとっての「普通」がその子にとって「普通」ではない事を家族という繋がりに甘んじずに向き合わないといけないのだ。

ヒロミはトモの嫌いなものさえ理解していなかった。母親という立場に甘んじて、トモに向き合っていなかったのだ。そしてカイ。カイは劇中で非常に大きな役割を担っていて、その母のナオミもまた大きな役割を担っている。カイの嗜好についてナオミは理解できない。やはり、個と向き合っていないからだ。また、ナオミはカイに、「あの人(リンコ)とは付き合わない方がいい。普通じゃないから」と忠告する。カイは「普通じゃないってどういう事?」と尋ねると、ナオミは「異常じゃないって事よ」と答える。

 

日本人は普通じゃない事を嫌う民族だ。

セクシュアルマイノリティの生きづらい世の中だと思う。海外はもっと一般的な活動が盛んだが、日本はどうしても影に隠れて生きている人が多い。映画でも日本における生き辛さが度々描かれている。出演者の斗真くんや桐谷くんはLGBTについて、身近な周りの友達に LGBTがおり、この映画についても彼らに相談していたと述べていた。

周りに友達、家族がいれば理解が進むだろう。ただ、「普通」の世界ではカミングアウトを気軽にする人の方が少ないだろう。こんなニュースもある。

www.asahi.com

身近にいなければ理解が進まないのか、身近にいても理解が進まないのか。LGBTに理解がある人だって「そうすることが普通だから」理解してるふりをしている人もいるかもしれない。身近な存在にLGBTがいなくて理解が進まないのであれば、映画がそれの助けになれれば良い。この映画の良いところはLGBT一辺倒の話では終わらず「普通ってなんだろう」と考えるきっかけとなる作品にきちんとなっている所だ。

 

映画の中のナオミとヒロミはある種のアンチテーゼとして存在する。ただ、ナオミの考え方を一概に自分は否定出来ない自分がいる。やっぱりつまらない考え方に縛られてる事って、多々あるからだ。胸を張って私はナオミとは違うとは自分は言えない。トモを置いていったヒロミもそう。ヒロミと同じ事を心のどこかで思ってる女性は多いと思う。やるか、やらないか、やれる状況か、そうでないかというだけで。だから、私はナオミのこともヒロミの事も嫌いにはなれない。トモはナオミについてこう言う。「あんたのママは、たまに間違う」間違ってる、とは全否定しない。人間誰しも時々間違うのだ。この言葉はなんて優しいんだろう、と思ってしまった。色んな人を肯定しているからこそのセリフだと思った。ただ、自分の考え方を彼女たちを反面教師として反省する面も併せ持っていて、やはり非常に考えさせられる映画だ。

 

「彼らが本気で編むときは、」

それにしても考えさせられるタイトルである。映画を見るまでは、彼らがなぜ編むのかなんて真剣に考えてなかった。そして何を編んでるのかさえも。

彼らが本気で編んだ、「ボンノウ」。彼らがなぜ本気で編むのか。マキオとトモは、リンコの望みを叶えるため。リンコを早く戸籍上も女性にしてあげて、しがらみから少しでも解放してあげる為。リンコは自分の願いを叶えるため。そして大切な人をを悲しませないために編む。

リンコはトモに、悔しさや悲しみを、編む事で消化させるのだと説いた。しかし、マキオの母サユリの編み物エピソードを通して、怨念ばかり込めては浮かばれないのではないか、と悟ったのではないか。

最後にリンコは、トモに「ニセ乳」を贈る。それは母が自分にくれた愛情の結晶である。ある意味「ボンノウ」はリンコにとっての怨念だった。愛するトモには、怨念ではなく、愛情を送りたかったのだと私は受け取った。寂しさを埋めるタオルを捨てて、「オッパイ」を求めたトモへの精一杯のプレゼントだったのだ。

彼らが本気で編むときは、誰かを想う時なのだと。

誰かを憎む時ではないのだと。私はそう解釈しました。

 

 

生田斗真トランスジェンダーを演じると言うことが入り口となり、この映画を見ることになる人もいるだろう。

今まで学校一の人気者、美しい殺人者、潜入捜査官、逃走者と様々な役を演じてきた。リンコは彼のキャリアにとってまた一つ素晴らしい役が誕生した。非常に難しく、苦労が伺える所が多々あったが、男性性を感じさせながらも美しい女性を演じきっていた。所作や表情や声色、そしてトモに見せる強い母性。存在としての美しさと、人間としての匂い立つような美しさが画面から滲み出ていた。あ、なんか女性として負けてるな、と感じてしまうほどに。

特にハッとさせられたのはファーストカット。とにかく印象的な登場シーンだ。「おかえり」とはにかみながら言うリンコさんはとても美しい。めちゃくちゃこだわったことでしょう。そして、胸がチラッと見えるシーン。このシーンもとても綺麗だ。おそらく女性監督ならではの視点で、女性が見ても美しいことにこだわられたと感じた。

しかし、ただ美しいだけではないのがリンコの素晴らしい所で。特にマキオの前では非常に信頼が伺えて、フランクで明け透けな話もする。そういった奔放な面も演じる一方で、どこか遠慮して肩身が狭そうにしている面も見事に演じている。

 

最初にこの映画の話を聞いたとき、きっと斗真くんならこの役を糧にするだろうと思っていたが、想像以上だった。このような役をオファーしてくださった荻上監督にはただただ、感謝を申し上げたいし、見事に演じきった斗真くんには拍手を送りたい。

 

今回の作品は今まで以上に楽しみで、トランスジェンダーという役を斗真くんがどのように演じたのか、というのもありつつ、作品としてとても楽しみにしていた。映画が終わった後には思わず深く息を吐くほど、満足感が非常に高い映画だった。

主人公はリンコだが、裏主人公はトモである。重要な役を演じきった柿原りんかちゃんには最大の賛辞を送りたい。自然体のりんかちゃん無くしては、この映画は成り立たなかったと思う。

 

 

LGBTの啓蒙に終始することはなく、それぞれの家族の形を描いた素敵な作品になっています。ぜひ劇場で鑑賞していただきたいと思います。

自分の価値観や多様性について今一度深く考えたくなるし、語りたくなる映画です。

全国映画館で絶賛公開中です。

ベルリン映画祭、W受賞おめでとうございます。

 



一部表現はノベライズを参考にさせていただきました。映画では描かれていないエピソードや心情が細かく描かれている事でより映画の理解が深まります。特に、リンコが傷つき悩む一連の心の流れは理解しやすくなっていてオススメです。