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 予告犯

2015年6月6日に公開された予告犯。番宣なども一段落したので、感想をぽつぽつと。
予告犯は幸運にも初日舞台挨拶と大ヒット舞台挨拶も堪能させていただき、趣向をこらした企画で楽しませてもらいました。特に大ヒット舞台挨拶は占い師の方が本当に面白かった(笑)
今回はいつもと趣向を変えて、引用も少々交えながら。。激しくネタバレもしますので、お気をつけ下さい。





初めて見たときは結末のあまりのやるせなさと、シンブンシを被った映画の内側の本質を突きつけられ、「え、予告犯てこういう映画だったのか、思ってたのと全然違った」と、戸惑いを隠せませんでした。

この映画の一番ズルくて面白いところはこのギャップだと自分は思ってます。まさしく制作者のしてやったり。

シンブンシを被って陽動していたけど、結局彼らにはそれを行う真実があったという映画の構造そのままに、観客たちもまんまとシンブンシの罠にかかっているわけですね。この映画を見る動機(出演者が好きだとか、監督が好きだとか言う動機は考えずに)として、異様なシンブンシのキービジュアルに引っ張られて見る、というのが動機としてあるのではないかなと。こいつらなんなんだと。
で、勝手に想像するわけですね、観客も。「この映画は恐らくエンターテイメント性に溢れた現代的なシニカルな話なんじゃなかろうか」
しかし、実際見てみると「これはシンブンシで隠されていたけど、現代社会の問題もあり、実はとてもウェットな人間関係の話に帰結する」というの事に気付きます。そこがとても面白いなと。

デジタルを使って陽動するけど、デジタルでは陽動することが限界で、探し物をしてもらうために、最終的にアナログな警察に頼る。
SNSで拡散、話題にさらされながらも、友達が欲しいと求める。電脳的なつながりは求めてはいないわけですね。
デジタルとアナログの対極を感じさせる構造が、自分としては非常に面白かった。

しかし、奇しくもウロボロスのイクオと同じ自死を選んだゲイツウロボロスの時は自分はあんなに納得出来ていたのに、今回のゲイツの死は正直自分は何故死ぬところまでゲイツが追い込まれてしまったのか、その選択しか出来なかったのだろうかと、この最期には非常に考えさせられました。

と言いますのも、個人的な所感となりますが自分はIT畑の人間でもあるので、「Java,PHP,C++が出来る」ゲイツがあそこまで追い込まれるところまで仕事が見つからない、という描写に疑問を感じてしまい、ずっとモヤモヤが残ってしまっていました。
「もっと頑張れば違う未来があったのではないか?」とあのゲイツの転落劇を見た瞬間に思ってしまったんですね。勿論、自分はITにおける就職や派遣の全てを知っているわけではありません。現実としてそのような事態があるかもしれないという事は、理解しなくてはならない点だと思います。そして、映画を見進めるにあたって違う理解の仕方を示される事になりました。

映画において、私のようなピンと来ないという人種の思いを代弁してくれているのが、「吉野刑事」というキャラクターだったと思います。
自分の経験していない世界を全て理解する事は難しいという事について、映画のストーリーを作り上げた中村監督の意見が非常に興味深く感じています。

「脚本作りの最中にプロデューサーのひとりが、”正直、俺はゲイツのやってることが分からない。だって頑張ればいいじゃん!”って言い出したんです(笑)。それにヒントを得て、原作と映画では吉野のキャラを少し変えました。
(中略)
映画の吉野はゲイツのことを不愉快に思っているし、理解したくない。許せないんですよね。」
日本映画navi 2015 vol.57 中村義洋監督

所謂映画のプロデューサーは、社会の見識としては「勝ち組」に当たる人種なのではないかと推測するに、「負け組(とここでは分かりやすく断定してしまいます)」のゲイツやシンブンシ達の思想の本質を理解出来ず、「頑張れば道は切り開ける」と思ってしまっている。相反する思考を理解出来ない人がいるわけですね。
そこで、映画の中の重要なメッセージの一つの「あなたは頑張れるだけ幸せだったんですよ」というゲイツの台詞が出来上がったのだと推測します。
この台詞はグサっときました。そして、この言葉こそが勝ち組に対する最大のアンチテーゼだったと、自分は気付かされました。あぁ、自分はなんて愚か者だったのかと。自分の生きている世界を押し付ける考え方は無粋であると。そうすると、もう終盤はゲイツ達シンブンシの思いに同調し、吉野刑事の言葉はどこか絵空事のように響いてこなくなるんですね。もう、まんまとシンブンシ達の味方になって、あのエンドを悲しく思えたのだと思います。

吉野刑事は原作と映画で一番変わったキャラクターでした。それについては中村監督は以下のようにも述べています。

原作では、吉野だけはなんとなく別に目的があるんじゃないかと感じている。でも、映画は吉野がゲイツたちの行動原理に気付くまでの物語という側面を持たせました。
CINEMA SQUARE vol.73 中村義洋監督

この映画では吉野をマジョリティ、ゲイツをマイノリティとして置き換えて作られています。映画を見るマジョリティに対して、マイノリティの思想をわかりやすく示す為に、吉野がゲイツ達の行動原理を追って見せて行ったのは、自分にとってもすごくわかりやすかったですね。(聞き込みはサイバー対策課っぽくなかったけど)映画の構造が大衆にマイノリティをいかに迎合させるか、という事がこの映画のキーポイントになっていると思っていて、見た後にサイバーダークヒーローという面よりも人情ものの余韻が残るのはこのせいなんじゃないか、と思ったり。必要以上にウェッティになっている、と感じるかもしれませんが、大衆に受け入れられる為には必要なプロセスだったんだな、と思います。その代償として吉野刑事のキャラクター造形は、原作のような切れ者感が薄れ、感情的になり少し暴走させてしまった面があるかなとも思うのですが、映画の構造上そうするしかなかったのかなと解釈しています。しかし、切れ者感は薄れましたが対極の2人が出自が似通っていて、転落するのは本当に紙一重であるという社会問題のテーマが非常にわかりやすくなっていたのは良かったなと。

映画には原作にはない吉野刑事との邂逅のシーンがありますが、これは原作と異なる趣があるラストに向けてなくてはならないシーンだったと思います。吉野刑事との追跡劇の末、ゲイツは水路の中に入り込みます。追いかけっこの顛末に世の中の汚いものが集まってしまう世界に迷い込み、吉野は壁を乗り越える事が出来ずに水路の奥までは入って来れません。この描写で近くにいるのに会う事が出来ず、両者の圧倒的な隔たりを感じるというシーンは、自分としては非常に好きなシーンです。どんな事も頑張れば乗り越えられると思っている吉野が、物理的に壁を乗り越えられないという強烈な皮肉を、このシーンから強く感じるのです。また、水路の2人と、それとは全く無関係の人々が上に写るアングルはとても面白かった。
この辺りなぜ吉野は一人で追いかけるのか、とか色々思ったりもしたのですが、あの追跡劇によってゲイツの本来の弱さや完璧ではない面が垣間見る事が出来て面白かったので、人の心に近づくには一人でなくてはならないのだという事で納得させてみたり、、(笑)

そして、ゲイツの仲間のシンブンシ。
シンブンシ達の空気感は本当に良かったですね。特に最後に肉付けされた砂浜のシーンは素っぽくて大好きです。(ゲイツの笑い方に、斗真っぽさが出てしまってますが笑)
ゲイツは肉親にも裏切られ、仕事からも裏切られて、最後の希望として友達が欲しかった。拠り所のない彼が求め、そして出来た最後の「友達」。産廃所での生活は、ゲイツの今までの人生で実は一番の安息の場所だったのではないか。その居場所を与えてくれた友達に対して、彼はこの人達の為だったら自分の命を投げ出してでもと思ったのでしょう。
あんまり言及されてないですが、原作と映画で吉野が特に違いますがシンブンシの仲間の描写を増やして青春群像ものの色を濃くしたのも、原作と結構違っている面かなと思っており。原作だとヒョロへの思いは伝わるのですが仲間関係は結構ドライな感じに読めるので、わかりやすく仲間意識を強くしたのは、これも非常にわかりやすくて良かったと自分は思います。これをした事によってメタボの最後の名シーンが出来たのだと思うと、これは本当に正解!良々さん素晴らしかったー。5人の願いがささやかに叶ったという面を打ち出した事も、世知辛い世の中で、せめて夢を見れたという事が非常に美しく見えて無性に哀しかったなぁ。

ただ、色々考えては見たものの、友達の為とは言えやっぱりあの最後はどうしても悲しすぎました。残された3人がゲイツの真意を理解して「あいつにやらされてた」と供述するのですが、あまりにもヒーロー然すぎる、世間にとってのダークヒーローは最後までヒーローでありたかったのか。どうする事も出来なかったのか…。自己犠牲で本当に友達は喜ぶのか?残された人は喜ぶのか?って事を考えてしまいます。まだ悶々とした気持ちを抱いてる自分がいます(笑)自問自答する日々は続きそうですね。

映画予告犯は自分に取ってやり場の無い思いを抱かせてくれた、心に一石を投じる映画でした。
関係者の皆様、本当におつかれさまでした!ありがとうございました!



以下、予告犯の斗真のお芝居について。

斗真は今回、ゲイツという役を演じたわけですが
ゲイツはシンブンシ姿では雄弁でしたが、それ以外の場面では静かにフラットに感情を爆発させることなく演じていたのですが、それがとても自然で今までになく良かったなぁと思っています。

ゲイツは派遣時代、職探し時代、産廃所時代、予告シーンと様々な顔を見せてくれました。特に自分が好きなのは、産廃所でのシンブンシとの絡みにおける、眼は暗く陰鬱とした気持ちが底にあると感じさせるものの優しく柔和になっていく場面ですね。

ヒョロを思いやるときのちょっとした表情、愛しいものを見る目つきが今までの生田斗真じゃない。たぶん年齢もあるんだろうけど、もっとリアルな、いつも俺らが見てる表情がフッと現れたのがすごく印象的だった。
cinema cinema No.57 鈴木亮平

亮平くんが言う通り、ヒョロとゲイツの絡みは非常に心暖まる良いシーンでした。ヒョロに向ける表情は本当に優しかった。表情もありますが、口調もとっても優しくて。年齢が変わって来て、慈愛のような父性のようなお芝居とかも今後出てくるのかも、って思ったら今後もますます楽しみに。また、全く別で、計画の実行を決意した時のOTPトークンを握って喋る場面、あそこの瞳の表情にものすごくゾワゾワして好きでした。

”瞳”は映画1本を通して本当に印象的でした。シンブンシのマスクから見えるあの”瞳”。下睫毛長いな!とまじまじ見てしまうあの目が

(一番最初の登場シーンで1分くらい瞬きしないことについて)
少しでも瞳が動くと意味が出てしまうし、無駄な動きになってしまうので、瞬きはしないほうがいいと思ったんです。お客さんを引き込む大事なシーンなので、自己判断で瞬きしませんでした。
日本映画magazine vol.53

確かに瞬きしてなかった。脳男で鍛えた瞬きしないという能力、ここでも発揮です。漆黒の世界の中で浮かび上がるあの瞳は本当に異様で、シンブンシの不気味さや独特なパワーに説得力を持たせるのに十分でした。また、今回は全く逆の試みもしています。

”シンブンシ”荷なる前、ゲイツは空気の読めないダメ青年だった。その回想シーンで、生田が小鼻をヒクヒクさせる瞬間がある。
「周囲からうざがられそうな雰囲気をだしてみました。内面的な弱さを表現するために、瞬きを頻繁にしてみました。」
TOHOシネマズマガジン 2015年5月 vol.98

昔のゲイツは人の顔色を伺いつつ、明るく振る舞うような人間でした。あえて瞬きの回数を多くすることで、心の弱さを表現していたんですね。

感情の表現を眼光の強さでうまく表現できればいいなと思ってた
日本映画magazine vol.53

感情の起伏がない分、瞳がとても雄弁なファクターになっていましたね。変幻自在。

「彼の中の引き出しに(ゲイツの要素が)あると思う。だから誰からも相手にされない人の気持ちが分かるんじゃないかな」
日本映画navi 2015 vol.57 中村義洋監督

斗真の演技のアプローチって、自分が一番役の理解者でありたいという物だと思います。だからこそ色々下調べもするし、近づこうと努力するんだと思いますが、バックグラウンドがそうさせるのかなぁ。

そして最後に中村監督からのお言葉で締めたいと思います。

「何でもいいけど、僕が勝負を賭けるような大事な作品に出てほしいな。斗真くんとは、どこか同志っていう感じがあるのかも」
日本映画navi 2015 vol.57 中村義洋監督

大事な作品に出したい、とおっしゃっていただけるとは、役者冥利につきるでしょうね。。
是非また、お待ちしてます!